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2025_0107_122321_髭茶屋追分

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Photos: 2025_0107_122321_髭茶屋追分

Photos: 2025_0107_122621_舞台セットの裏側へ Photos: 2025_0107_122050_閑栖寺

ブラタモリで登場の髭茶屋追分
東海道で江戸から五十三番目の宿場、大津を過ぎ、逢坂の関を越えて山科盆地に下ったところになります。
ここを右に進むのが京街道で京都に通じ、左に進むのが
伏見街道で、伏見、淀、枚方、守口の四宿を経て京都をスキップして大坂に通じます。
伏見街道は途中で山科から来る奈良街道と交差しているので、ここから奈良街道とも呼ばれていたようです。

ブラタモリでは江戸時代当初、徳川家が五街道を再構築するときに西国大名が朝廷・公家と親密になって謀反を起すリスクを減らすためという趣旨の解説でした。

それが江戸時代も中後期の、平和な時代になると、謀反どころか西国大名にとっては参勤交代で京都を通れば朝廷への礼を尽くすのに金はかかるわ時間はかかるわで京都はそういう意味での隘路になっていたためため、参勤交代では好んでこちらのルートが使われたそうです。

Tag: 東海道

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