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2025_0107_114149_悪名高い踏切

Photos: 2025_0107_114149_悪名高い踏切

Photos: 2021_0725_164050 おまけ

踏切の責任ではありませんが、十禅寺道踏切、円光寺道踏切、諸羽神社踏切と短い間隔で3連続する踏切
一方の線路に並行する道(旧東海道)も少し(100メートルほど)離れており、もう一方に至っては繋がってもいないので、10年ぐらい前にはショートカットのため線路を通行する人が後を絶たずテレビ番組で取り上げられたことすらありましたが今は改善されているのでしょうか。

いずれの道も神社仏閣の旧東海道からの参道を名乗っており電車の方が後から開通したので無下に統合というようなこともできないものと思われます。

さらに走っている電車も大正時代に走り出した当初は路面電車に毛が生えた程度の電車がゆっくり走っていて親の代からそう危険も感じずに通ってる、という人も多いと思いますが、今走っている電車は逢坂峠と地下鉄の急こう配を楽楽と越えて来るめっぽう性能のいい電車で駅間の短いここら辺でもすぐに60キロ70キロくらいまで加速するので車内から見ているとこの速度でうっかり歩行者が電車を見落として通行していたらやばいという速度です。

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Comments (3)

  • symrioz

    車体幅がJRより狭いのに標準軌(1435mm)なんですねぇ
    見た感じも線路幅広いなぁと

    01-10-2025 08:34 symrioz (0)

  • キューチャン

    symriozさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    JR=旧国鉄の車両限界だと車幅2950mm
    標準軌の私鉄は広い近鉄や南海、阪急京都線でも2850mm、他は2750-2800mmといったところ。この京津線なんかは路面電車からほとんど拡幅してないので2380mmと相当狭いです。
    ですが本家の欧州では標準軌のTGVでも車幅2900mmくらいなのでむしろ日本の国鉄が狭軌なのに結構頑張ってる、と言えそうですね。

    明治に入って日本政府が最初に鉄道を英国から導入したときに、英国人技師が、植民地などで採用されていた1067mmくらい(車体幅は7ft.1/2=2288mm)が日本にはよいのではないか考え、ゲージは3ft.6in.(=1067mm)でどうかと提案したところ、日本人はゲージの意味が良く分かってなくてそれでいいと簡単に決めたのが発端で以降長らくの禍根を残しことになったそうです。

    狭軌の方が車体も小さくて軽いので、トンネルも小さく済み、橋や路盤の強度も低くて済むので路線を伸ばすには都合よかったが、後々輸送量が増えて速さも求められだすと問題が出てきました。

    01-11-2025 23:34 キューチャン (36)

  • キューチャン

    自動車の普及する前は鉄道が国の最重要な陸上交通インフラだったので
    思い切って改軌を主張する派と狭軌のまま路線延長を優先する派で国会でも何度も紛糾するも結局新幹線ができるまで思いきれませんでした。
    一方で鉄道省の技術陣は何とか狭軌という制約の中で安定性が保証された客車、大きな力の出る機関車を成り立たせる努力を重ねて、昭和の初め頃には欧州にそこまで劣らない車体を持つ車両を走らせることに成功しています。

    また明治中頃には「路面電車」というものが現れました。この頃の電車は音も煩くスピードも遅く車体も街中での取り回しに困らないくらいの大きさの、まぁ言えば今の路線バスみたいな位置づけ、鉄道とは別世界の乗り物だったので、輸入したそのままの標準軌で敷かれ、小型の電車が走りました。
    関西の私鉄は鉄道を敷くと言っても鉄道省が認めないので「路面電車」を敷くといって開通しています。大体どこの電車も車体幅は7ft.1/2=2288mmでした。
    私鉄は私鉄で特に輸送需要が増えた路線はこつこつと線路の方を改良して今の大きさの車体が通れるところまで改良を進めましたが、この京津線はそこまでしなくても100mm広げるくらいで今に至ってるみたいですね。

    01-12-2025 01:00 キューチャン (36)

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